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統合失調症女子のポジティブログ

統合失調症持ちの20代女子が闘病記やポジティブ思考のコツなどを書いていきます!

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「病棟とは、人間離れした人間が人間に戻るための訓練所である」-入院生活を振り返って

2018年1月、私は人間離れをしていた。会社に対して極度の不安感を抱いていた。退職したいけどなかなか伝えられない。やっとの思いで伝えられたと思ったら、セクハラ、パワハラを受けた。もう会社を信用できないと思い、精神が崩壊した。

 

木曜日にセクハラ、パワハラを受け、金曜日は一晩中眠れず会社を休んだ。

 

それから土曜日、外に出て何とか気を晴らそうとしたが、不安が収まらなくて、少し食料を買ってすぐ家に帰ってしまった。

一度家を出たら二度と家に帰れなくなるのではないか、家が事故に巻き込まれてしまうのではないか。そんな被害妄想が止まらず、異常な精神のまま家へ帰ってきた。

それに、外に出たら幻覚が見えた気がした。前を歩いている祖母に「おばあちゃん、大丈夫?」と声を掛けたらそれをSNSで呟こうとしている人が見えたり、スーパーに寄ったらレジが普段と反対方向になっていたように見えた気がした。

 

精神が晴れないまま日曜日を迎えた。翌日は会社だ。休んだら病欠扱いになる。その日は家で過ごしていたが、とても明日出社できる精神ではなかった。不安が膨大になりすぎて、親に顔を見せるのさえ苦しかった。

 

そして1月29日の深夜、家を飛び出し、警察に保護された。この時私は逮捕されて牢獄に閉じ込められるのかと思った。それは半分正解だった。

家出したものの、すぐに親に見つかり、親の了承を得て精神医療センターに入院することとなった。正直死にたいくらい精神崩壊していた。

 

「入院」といった、一般人と触れ合うことができない領域にいた私は、一度「死んだ」のではないかと悟った。病棟という監獄に閉じ込められ、地獄に落ちたのだと思った。

当時はここが精神医療センターだということすら理解できず、私のいる空間は宇宙なのではないかとも思った。とにかく頭が混乱しすぎて現実を受け入れられなかった。

 

地獄だった日々は3日ほど続いた。落ちたくても落ちられない、拘束されたベッドの上で、天井を眺めながら一夜を過ごした。天井の電気やエアコン、火災報知機、何もかもが先祖の遺影に見えて、悲しみのあまり声も出せず、嘔吐しながら眠りについた。

 

目が覚めても誰もいない病棟の部屋の中。何とか睡眠はとれていたようだ。時々看護師さんが来てくれたことがうれしかった半面、嫌々対応してくれているという疑念が生じ、罪悪感にもまれて苦しかった。まだはっきり話すことができない私の嘔吐物を処理してくれたり、ゼリーを食べさせてくれたり、歯磨きを手伝ってくれた看護師さん。看護師さんの協力のおかげで、地獄から天国へ1歩近づいた気がした。

 

2月3日。この日からようやく意識がはっきりし、やっと現在時刻を把握できるようになった。おそらく両親と面会できたからだろう。死後の世界ではない、現実世界で再び両親に出会えた。再会できた感動と罪悪感のあまり、私は大泣きしていただろう。両親には感謝してもしきれないぐらい迷惑をかけた。

手荷物の捜索で貴重品はすべて戻ってきて、会社への連絡もしてくれた。

 

この日にやっと認識できた。病棟は死後の世界ではない。病棟とは人間離れした人間が人間に戻るための訓練所である、と。私は「生き返る」のではなく「まともな人間に戻らなければならない」のだ。

 

それから点滴を外してもらったり、お風呂にはいれるようになったり、家から漫画やゲームを持ってきてもらったり、自由に散歩できるようになったり、次々と試練をクリアし、次第に「まともな人間」へとステップを踏むことができた。

 

 

入院生活は地獄でもあり天国でもあった。いわば「人間離れ」した人間が過ごす施設が「病棟」なのだ。

入院生活では自分に関する金銭管理面はすべて他人がしてくれて、自由に使える時間が多い「天国」な面と、行動範囲や時間に制限があり、病気に立ち向かわなければならない「地獄」な面の2種類がある。それに、ここでしか出会えないような人間離れした人との交流で、生活事情や対応方法などを情報交換することができ、とても濃い3か月間を送ることができた。

 

人は一度失敗したとしても人生やり直せる。人生に疲れたら病院に泊まって、よくなれば「人間」として社会に戻ってくればいい。その繰り返しが「生涯」なのではないだろうか。